フライ ミー トゥー ザ ムーン

仕事と子どもに関する喜怒哀楽を中心に

一番大切なもの

アイドルに特化したダイアリーを捨て、自分が興味のあるものや子どもについての備忘録という意味合いでここを開設したけれど、ぜんぜんそういった内容に言及する気力がわかない。一度ここでアイドルについて書いたら、尋常でないアクセスがあり、怖くなって下書きに戻してしまった。そして以前と同じ、ひっそり閑としたブログの様相を帯びてきた。この記事もまた自省的な内容だけれど、もう楽しげなブログはあきらめて書き進める。


結局、私は仕事と育児の両立なんて考えていなかった。一番大切なのは仕事だった。

それに気づくのに数年かかった。周囲の働く女性を見ても、多くは家庭や子どもを最優先事項に据える人が多いので、そういうものだと思っていた。そうあるべきだと自然と思っていた。確かに、今私が最も尽力しているのは家事や育児だけれど、一番大切なものではない。親としての責任感が私の行動の源であって、好きで何時間でも時間を費やしたい対象は仕事である。

親になって、仕事が一番大切というのは憚られる。何だか酷い人間みたいで、夫にも言ったことがない。

仕事上で多くの人々に貢献することよりも、1人の人間を育て上げることのほうが本当に大事な使命と言えるのか、ここ数年ずっと逡巡してきた。出産と育児を経て、かつて並々ならぬ努力の結果得た仕事上のスキルが徐々に失われていった。そして、きっともう、正規の職員としては働けない。

言葉にするのも恐ろしいけれど、私の選択が正しかったのか、と眠れぬ夜もあった。

子どもは可愛い。当たり前だ。自分の子どもだから、可愛いのではない。子どもはすべからく素晴らしく、愛すべき存在なのだ。だから、正当化する理由にならない。

苦しくて苦しくて、地域の相談窓口に2度も電話した。

2度とも一般的な傾聴と共感と受容に終始し、失望した。けれど誰にも頼れない諦めが、かえって私を楽にした。誰かに救って欲しくてつらかった。助けてくれない、とつらかった。でも、誰も私を理解し、助けになるようなことは言えない。だって、私と同じような境遇にある人は自分以外いないのだから。

そんな中、ある所で目にした一文が胸を貫いた。

「子どもは親が子どもを愛するよりも、はるかに親を愛している」

そうだった。そうだった。

息子と生活して数年、子どもの善良さをまざまざと見てきたじゃないか。
どれほど親を、特に母親をどれほど切実に求めるか知ったじゃないか。

息子にお金をかけて、手をかけて、愛した気でいたけれど、彼には及ばない。
あの小さい身体いっぱい、今日も私を愛している。私の人生で、あれほど誰かに愛されたことはない。

だから、人として、その愛情を裏切れない。母親として、親としてでなく。

そう思えたことが、どれほど私を楽にしたか言葉に尽くせない。

畢竟、数年来私を奥底で脅かしてきたものは「母親」という様式だった。そこから逃れたくて、逃れたくて仕事が私の中で異常な重みをもつ存在になっていた。もちろん、今の仕事が天命である、という思いは変わらない。これまでと同じように社会の為に働き続ける気持ちも変わらない。でも、確実に昨日とは違う気持ちであの場に立てる。

今は、一番好きなものは仕事。一番大切にしたいものは息子。そう思っている。